誰もいない路地
コンディション整えようとする気があるのか?という疑問はここでは敢えて無視しておく。
* * *
いつもの帰路を外れ、たまにしか通らない暗い夜道へ。
そこは街灯少なく、曲がりくねって見通しの悪い急な下り坂。
そんな急な坂に僕は、自暴自棄な時間特有の、喪失の危機の快楽を求めた。さらに、坂を下り始めてから僕は、彼女からさっき来ていたメールに、今週こそはまめにとのさっき別れた時の約束を実行すべく返信をつけることにする。加速が始まってから左のポケットから取り出した携帯を右手に持ち替える。否応無く両手離しになる瞬間、最高だ。
しかしながら、さあこれからがトップスピードだという局面に差し掛かった直後に止まった車の陰から見えた原付のヘッドライトは、僕に片手ブレーキで車体を完全にとめてやり過ごして小うるさいエンジンの唸りが遠ざかるのを聞くことを余儀なくさせ、それ以上中断された自慰の快感を得る気もなくなってしまった僕は、余計に苛立つ。
ここでも僕の選択は嘆きを生むにとどまってしまった。
* * *
カジュアルな洋食とはいえチャージを取られる居酒屋、二人で軽く食って5000円。
でも彼女、アルコールが目を代償にすることを最近感じているから、居酒屋に入る意味が全くなかった。たとえそれが、彼女自身がホットペッパーを見て強く入りたがっていた店であっても。
大体、あの注文にあっては、僕も絶対に酒は止めるべきだった。あんな気まずさを味わうくらいなら、料理は何も美味しくない。
二度とお酒を飲む場所に彼女を連れて行ったりはしない。美味いものを一緒に食いたいなら、練習して、ああいう料理を僕が作れるようになればいい。むしろ酒を公衆の面前でたしなめない以上、美味い店でもまた二人でオレンジジュースの気まずさを味わうだけなんだから、それしかないといっていい。
しかも今回の場合、店の予約は確定した上、あらためて料理の内容を相談するようなことも無かったから、僕が下見と称して見に行った意味ももはや全くゼロだった。
今晩の僕は、5000円もかけて単純に嘆きを買い上げたのだ。一緒に彼女と美味しい店に行っても、普通の人と同じような無邪気な幸福感を味わえることは二度とないだろう、という嘆きを。
そうさ、彼女は暗い店に入れない。目がほとんど見えなくなるから。
彼女はカラオケは好きじゃない。耳がよく聞こえないから。
ああなんてことだ。今日も僕は彼女の中途半端に気を遣ったせいで、望むものを僕は何も提供してあげられなかったじゃないか。
新歓にあって僕は、店の選び方を間違えていた。完全に僕は勘違いしていた。決まっていたんだから、メンバーを前提にして考えるべきだった。もっと新歓の意義そのものを自分の中で明確にしてから実際の店に当たるべきだった。
誠実さが全く足りていない。付き合ってくれたみんなには申し訳ないことをした。本当に大切なものを見失っていたんだ。
* * *
出来るだけ何気なく明るく見えるような文章を右の親指で打ちながら、下りきった後の、アパートのある高台に至るまでの緩やかな上り坂を、一番軽いギアで漕ぐ。
このままではあんまりにもどうしようもないから、僕は今度はそのルートからさらに、今まで一度しか通ったことの無い曲がり角へと入り込んだ。
その路地、入り口はそれなりに広いが、右左右左と曲がるたびにその道幅を狭め、3度目に左に曲がった時には自転車同士がすれ違うことすら不可能な細さになる。
かつて通った時に頭の中に組み立てた地図から、そこを抜けるに要するのはほんの1、2分とわかっていたのだが、それでも僕は、その僅かな時間に通り慣れた道にはないものを求めてそれで心の何かを埋めたかったんだろう。
入ってすぐに最後の街灯もなくなり、0時を回っては民家の明かりもほとんど無い。路地はこれまで通ってきた道以上に異質の冷たさで満ちていた。
ああなんということだろう、にもかかわらず、今まで通ってきた夜の街とは違って、通りなれた道とは違って、ここには強烈に生活の匂いがする。
そんじょそこらの木造の建物とは違うんだぞ、と昭和末期の工法で建てられたと思われる、ただ素材によって小奇麗に見せただけの、ベランダの出入り口の窓の近接具合に一つ一つの部屋自体の狭さを滲ませる、実際は大分古びたアパート、の、とある窓に、所狭しと部屋干しされた洗濯物の影がオレンジ色の豆電球の光でくっきりと映し出されている。ああ、これこそが本来僕が住んで良い分相応最低限の部屋ではないのか。
大体僕は、食べ物だって、卵とねぎと豆腐と調味料、あとはご飯と牛乳と野菜があれば、ちょこちょこっと余分なものを買うだけで十分に満足な生活を手に入れられるはずだ。
下見と称して色々な店を回って美味しいとされるものを食べて得たものはこんな嘆きだけだったのだ。こんな生活のどこに見た目の華やかさ以上の良さがあるのだろうか。
実家のおふくろは今の僕みたいな食事をとったりしないだろう。僕はなんて湯水のように無駄金を使う親不孝者なのだろう。なんでおふくろはあんな良すぎる部屋に僕を住まわせたのだろう。僕はそれに見合うだけの人間にまだなったわけではないのだ。
最後の細い路地、このあたりの家には駐車場も無い。各々の暗い民家にはあたかも誰も住んでいないようだ。
暗くて冷たくて狭い狭い路地。命を感じないそこは、物語の世界のようだ。僕はそこを、同様に、暗く、ひっそりと進む。
しかしこの家々に本当は住む人々の暮らしは、なんてうらやましく見えるのだろう。
僕の今の貧相な想像力は、ここに住む人々の複雑性と深さを失礼にも完全に拒否してしまい、どうやら僕が相当ひねくれている為に逆に堂々巡りし得ないようなありふれた悩みと絶望と快楽を日々の糧としながら生きる人々の映像を、家々の断面図に描き出す。
この木製の平屋の借家では、一般社会をリタイヤして、僅かな身内の繋がりともれ聞こえるメディアからのまだ見ぬ土地の情報とついぞ昔を舞台にした人間劇に細々と楽しみを見出しながら余生を送るお爺さんお婆さんがすうすうと寝息を立てているのだろうか。
またあの家の二階には意外と普通の高校生がネットの世界でありふれた自分の趣味を大げさに語っていて、一階ではその両親が買い溜めておいたその他の雑種と枝豆とチーズで晩酌をしながらだらだらとそれ以上でも以下でもない刺激を求めることを忘れようとているのだろうか。
この一見普通の平屋では独身の男が首を吊って死んだまま腐った細胞を垂れ流していないだろうか。
この開発の見込みのない昔ながらの空き地では昼間小さな子供たちが虫けらを潰したり虫けらのように苛めたり苛められたりして楽しく過ごしているのではなかろうか。
ああ、どこでもいいからこの家のどこかに飛び込んでしまいたい。そして僕に無償で何気ない日常と一般に普通とされる浅い悩みと普通の浅く楽しく無意味な人生を与えてくれないだろうか。もしくは泥棒と殺人者と偽りの成功者と死者の4択位からでもいいから今を越えた感動を導き出してくれないだろうか。
誰か、このどうしようもなく自己実現から逃げようとする僕の自分自身への絶望からくる虚無感を埋めてくれ。僕にとってはもはや何の意味も無いこんなメールのやり取りから僕を解放してくれ。誰か。
* * *
路地を抜けるとすぐそこには昭和の魚屋と床屋、そしてそのほんの20メートル先に、コンクリート造り、平成初期の最先端を行ったであろうそこに住まぬ人から見ると大分”おしゃれ”な4階建て(地下駐車場あり)のアパートが建っている。
一瞬の非日常から抜け出てしまって、既に3次元にして半径30メートルもないところにある空間は、本当は嘆く暇を感じている場合ではない、ストイックに自分を高め続けることを常時要求されている、いつもの生活。
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